ヨーロッパ諸国にとっては「外交問題」、バルカン諸民族にとっては「民族問題」、オスマン帝国にとっては「領土問題」の側面を持つ。 これを「東方問題」と総称する場合、あくまでヨーロッパ列強から見た「外交問題」の側面が強調される。 列強間の東方に関する外交問題はベルリン会議(1878年)で一応の決着を見た。 それ以降、列強の利害は「東方」地域だけでなく、エジプト以南のアフリカ・極東を含めて全世界規模で調整されるようになったので、列強にとって「東方問題」の重要性は減じた。 しかし、これはあくまで列強間の外交上のことであり、バルカンの民族問題は全く解決されていなかった。 後にそのことは二度のバルカン戦争によって明らかになり、この民族問題は第一次世界大戦を引き起こす要因のひとつとなった。 最近のコソボ紛争にいたるまでこの民族問題は未だ解決されておらず、今日まで持ち越されている問題である。 このため「東方問題」の決着は見方によって一様ではなく、ベルリン会議とみなす場合が多いが、後に続く紛争も「東方問題」に含めて論ずる場合もある。
SEM促進・転職関連マネービジネス検索エンジン
実益・生活関連みんなの住まい情報
包茎・インポテンツ関連健康・医学コラムCOM
ホシバナウェブお買い物サーチ
アンポンタン暮らしの学習総合
チケット予約・遊園地関連宿泊タウン総合
ポスト美容整形ガイド
老人ホーム・経営コンサルタント関連経済生活検索エンジン
ウエリントン暮らし上手情報
介護・予防法関連健康・医学倶楽部情報
これらの問題を「東方問題」と総称する場合、ヨーロッパ側の視点に立ち、一連の問題をオスマン帝国がヨーロッパ諸国の外交秩序に組み入れられていく過程として捉えて説明する傾向が強い。 このことにより「東方問題」は列強の帝国主義政策・膨張政策と関連づけられる傾向にあり、主として
ドイツ・オーストリアの「汎ゲルマン主義」とロシアの「汎スラヴ主義」の対立
エジプトとオスマン帝国の紛争およびそれに関わる英仏の中近東政策の対立
ロシアの南下政策とイギリスの帝国主義政策の対立
イギリスの3C政策とドイツの3B政策の対立
などを軸として語られることが多い。 東方問題で扱われる問題の一部は、オスマン帝国における近代化へ向けた自己改革運動の側面を持つものもあるが、「東方問題」と総称する場合には、自己改革的な側面は無視あるいは軽視される傾向が見られ、それらの改革運動も最終的には列強との力関係や外交状況に影響されたものと捉えられる傾向にある。